清掃人。(せいそうびと)

公益社団法人全国ビルメンテナンス協会の会員誌「月刊ビルメン」において、写真家:立木義浩氏による清掃従事者の撮り下ろし「清掃人。」シリーズの企画・編集・執筆・デザインをしました。


清掃人。
撮影:立木義浩

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No.01
おかげさまの人生。
石川邦子(76歳)
グローブシップ株式会社 所属

降る雪が、さらに雪を呼びこんで、
あたり一面を埋没させるように降り積もっていく。
石川さんが生まれた秋田県横手市は、
そんな豪雪で知られる雪深い土地だ。
母を早くに失い、父に育ててもらった。
子どもの頃から小柄だったが、脚が速くて、
中学の陸上部では短距離を走っていた。
おかげさまで今でも身体が丈夫なことだけが
私の取り柄なの、と石川さんは人懐っこく笑う。
21歳の時に秋田を離れ、東京で結婚した。
2つ年上の伴侶も同郷の者だった。
清掃の仕事に就いたのは、20年ほど前。
子どもが独立して夫婦二人になったことと、
団地に引っ越し、時間ができたからだった。
最初は夜だけ2時間、定期清掃をやってみたのだが、
ビルの床をモップで磨き
きれいになっていく様を見るのは、
じぶんの心まで晴れ渡っていくようで意外に面白かった。
現場が西日暮里にあるビルメンテナンス会館になり、
午後の時間帯を主任と二人で担当するようになった。
この建物は、清掃従事者たちの総本部だ。
そんな清掃の聖地のような場所で、
研修に訪れるプロたちから
笑顔で言葉をかけてもらうようになっていった。
「ここはいつもきれいですね」「おかげさまで」
この触れ合いの瞬間が、何より好きだ。
清掃は、笑顔を呼びこみ、感謝を呼びこむ。
石川さんはそう感じながら生きている。

No.14
道具の進化と身体の技術がセットなんだ。
村上優希(22歳)
エコル株式会社 外装メンテナンスチーム

父が清掃の仕事をしていたので、
高校を卒業して仕事を選ぶ際には
同じ世界が良いかなと漠然と思っていた。
そして就職先選びの求人票に
「エコル」という会社の名前を見つけ、
そこではビルの高所でガラス清掃ができるのだ
ということを知ってからは、
さらにビルメンテナンスの世界に引き込まれていった。
入社してガラス清掃チームに配属され、
数年間、先輩たちの指導を受け続けた。
いずれも高所でガラスを磨く強者たちだ。
中には岩登りのアスリート世界から
この仕事に就いたしなやかな体つきの方もいて、
師匠たちの教えは多岐に渡った。
窓ガラス清掃は外装メンテナンスの一環
であるというのもその一つだ。
我々はただ窓ガラスを清掃すれば良いのではなく、
建物外装の不具合を発見する点検者でもあるのだ。
そんなガラス清掃にはさまざまな道具がある。
ロッククライマーが岩から懸垂下降をする時にも使う
星形をした金属下降器などは、
室内清掃では決してお目にかからない代物だ。
いざヘルメットを被り、中性洗剤で窓ガラスをシャンプーし、
スクイジーで水を切っていく。星形の金属下降器は
使っていくうちに中心部分のロープ穴が摩耗して行くが、
それはまさに自分の成長の証し。
今では自分も「日本ガラスクリーニング選手権大会」で
6度も優勝者を出す会社の、立派な一員になった。
道具の進化が早い世の中だけど、
身体の技術がともなわなければ、人は決して向上しない。

No.20
世界一の大仏様と、自分でなければ、できない清掃。
田口和幸(51歳)
株式会社エム・ビー・シー

像高100メートル、全高120メートル。
青銅の大仏像として世界一とギネス世界記録に登録されている
茨城県の牛久大仏。
年に一度行うその清掃に携わって、はや15年の月日が流れている。
この道に入ったのは清掃業をしていた父の影響が大きい。
16歳くらいからアルバイトで清掃の手伝いをさせてもらったことがきっかけで
地元茨城で働き始め、床、ガラス、高所作業と経験を積んでいった。
牛久の大仏様は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺が
同派本尊の阿弥陀如来像を具現化したもの。
その巨大さは、あの奈良の大仏様が手の平に乗り、
アメリカの自由の女神像の
2倍半もの威容を誇る。
青銅という素材は長い年月の中で自然の緑青を纏っていき、
深味のある独特の色に変わっていく。
そのため清掃を行う際には、決して「きれい」にしてはいけない。
高圧洗浄機、ブラシを使って
丹念に鳥たちの排泄物を取り除くことが中心だ。
ビルと異なり平面の無い仏像の形状は、
高所ということもあり困難さを伴う。
若い頃は仲間たちとの競争意識で
高所作業を一番早く仕上げたいという気持ちに
駆られたこともあるが、今は慌てず、落ち着いて、
安全に行うことを第一にしている。
大仏様の頭頂部に登り、螺髪の上から見渡す
富士山、東京タワー、スカイツリー。
その光景は、得も言われぬ絶景だ。

No.23
人間の大切な水脈を清掃する。
大地 勝(41歳)・葛西生雄毅(33歳)
株式会社敬隣舎

人間が都市を発明して以来、なくてはならない2つの水脈を
われわれは装置化してきた。
それが上水道と下水道。
飲み、食べ、排泄する集団の営みを続けるために用意した、飲み水の道と
し尿や食の残渣を洗い流す道である。
世界各所に見つかった人類社会の遺構にも
この水路の跡がしっかりと残されている。
東京のある冬の寒い日、板橋区にある高齢者施設で彼らに出会った。
施設裏の一角に青いバキュームカーが静かに止まると
運転席、助手席それぞれのドアが開き、一人が手元に道具を揃え、
もう一人がタンク上の台からホースを下した。
「今日の仕事は?」と聞くと「汚水槽清掃です」と
先輩格の男性が淡々と答える。
彼らが勤務するビルメンテナンス会社は、給排水設備、貯水槽の清掃が専門。
創業は汲み取りから始まったそうだ。
鉄製の重いフタが持ち上げられ、敷地に穿たれた穴が現れる。
一緒に覗きこむと、地下から上昇してくる空気の流れが
独特な臭気を運びマスク越しにも感じられる。
思わず顔をしかめると、
「槽内はもっときついです」と二人が笑う。
清掃が求められる場所は、床やガラスなどの目に映る空間だけではない。
彼らが相手にするビルピットと呼ばれるビルの地下排水世界。
表からは視えない場所、狭い場所、
そこでの仕事は危険をともない、身体への負担も多いようだ。
「やり甲斐の源は?」と再び問うと、
「現場に立ち会っていただいたお客さまからの労いと感謝の言葉です」
太古の都市社会にも彼らのような清掃人が、
きっと存在していたはずだ。

No.28
総合格闘技から、清掃の世界へ。
波田野嶺央(28歳)
株式会社サンワックス

自らを「神の子」と名乗る総合格闘技選手がいた。
山本“KID”徳郁、その人である。
2000年代初頭、格闘技ブームに沸く日本の
間違いなく大スターの一人であり、
打撃技、組技、寝技のすべてで構成される総合格闘技の世界で
鍛え抜かれた身体を武器に凄まじい勝ちっぷりを誇った。
華があり、多くの人に愛された。
波田野さんは18歳からその山本氏の門下で総合格闘技に打ち込み、
運転手なども務めながら格闘技の技を磨き、試合を続けていった。
週5日の定期清掃アルバイトを始めたのもその頃からだ。
「格闘技選手を続けながら
清掃のアルバイトをしている人たちは意外に多いのです」
と、波田野さんは穏やかに答える。
「生活の大半の時間をトレーニングに打ち込んでいるため、
一般的な会社員の方たちのようには充分な時間を仕事に充てられません。
その点、清掃のアルバイトは時間調整ができますし、とても有難い」
27歳の時、波田野さんは、試合で受けたパンチが原因で網膜剥離になり、
ドクターストップが宣告された。
選手生命を終えることになり、毎日悩んだそうだ。
一時はパーソナルトレーナーの職に就いたが、
仕事としては不安定だった。
そんな時に長くアルバイトをしていたサンワックスの社員募集を知り、
これまでの経験も生かすことができると決断。
ビルメンテナンスの世界に進むことを選んだ。
「何より喜んでくれたのは、一人親の母です。とても安心してくれました」
波田野さんの人生の選択。
空の上からかつての師匠も
きっと笑顔で讃えてくれているに違いない。

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