異端


異端、という言葉があった。
あった、と書いたのは、いまはほとんど使われなくなった死語のように思えるからだ。

異端児、異端者、異端書、異端的。異端という言葉を辞書で引く気はないので極私的な解釈にはなるが、その言葉には、中央ないし主流なものに対して、異なる主張を貫く。であるがゆえに端に置かれる、あるいは、意図的に中央にまつろわぬ態度を表すために、真ん中王道を支配する者たちから疎んじられ、端に立たされる。なんならどんな逆風、嵐に晒されようとも、積極的に端の突端に立ってやる。そんな気概、勇気のある者たちに与えられた、ある種の称号だったような気がする。

いまは、全球的に多様性を認める時代を迎えた。
ひとのみならず、生物全般の多様性を保全、回復せねばならない潮流の中にある。その時代にあっては、異端も多様性のひとつの姿であり、個性であり、特質であると認識されているのかもしれない。それ自体はけっこうなことだと思う。

がしかし、ある時代までの「異端」は、どこか人間の内面の暗い部分をまさぐり、極めて官能的かつ背徳退廃的な闇のエロティシズムと、異世界への畏怖を呼び醒す、鍵となる言葉でもあった気がする。
そう敢えて記したのは、或る日、ひさかたぶりに、澁澤龍彦という名前が目の前に現れたからだった。

澁澤龍彦は、小説家であり文学者であり、シュルレアリスム、不条理な世界の探究者でもあった。
摩訶不思議な奇譚や、異世界と常世をつなぐ森羅万象にも通じた博識のナビゲーター、まさに異端と幻想世界のエンサイクロペディストで、鎌倉に居を構える彼のもとには、新奇なものを求める、数多くの才気溢れる若者らが集まっていた。
澁澤龍彦は三島由紀夫の知遇も受け、彼の幹から生える枝には稲垣足穂や四谷シモン、金子國義といった僕にも馴染みのある作家、アーティストも色とりどりの花を咲かせた。そしてその中には、後に木の彫刻家として世界に名を馳せる、若き砂澤ビッキの姿もあった。

僕が、澁澤龍彦の名を知ったのは、高校のころだ。たしか、友人が持ってきた雑誌かなにかに載っている、顎の細い優男が、黒いサングラスをかけている写真を見せられたのだが、僕はそのシブサワタツヒコになんの関心も示さなかった。
むしろその友が、「シブサワの関係で、ビッキっちゅう凄え奴がいんだ。異端の、木の彫刻家。旭川出身だってよ。ビッキ、ビッキ!」と得意げに告げる唇の動きを目で追いながら、「ビッキ」という言葉の破裂音が耳を震わせ、当時熱を上げていた海外のロックミュージシャンのようなエキゾチックな名前と、異端の木の彫刻家、という響きに強く引き寄せられた。

やがて1978年、僕は大学進学で北海道の小樽を離れ、東京に向かった。その年、交差するように、砂澤ビッキさんは音威子府村の筬島の廃校にアトリエを構えた。が、そのことを知ったのはずっと後のことだ。そして、巨きな身体をしたビッキさんの逞しい手と鑿が彫り出した、強烈な生命力を持つ木のオブジェや、異彩を放つ作品群を目の当たりにしたのは、さらにそれからもっと後のことになる。

話は変わるが、芥川賞作家の中上健次は、異族という小説を遺した。紀州熊野にある新宮を主な舞台にして、秋幸という青年を中心に語られる数奇な物語を紡ぎつづけた中上健次に、僕はおおいにハマった。それまでは宮本輝などの小説が読みやすく愛読していたのだが、中上健次を読みはじめてからは、他の作家の作品がことごとく読めなくなってしまった。中上健次の文体が持つリズム、終わらない言葉の連符、物語世界が奏でるコード、吐き出される文字の一つ一つに脈打つ呼吸が、脳髄を痺れさせた。半島、路地、部落、聖なるものの美と穢れ、あらゆるものが荒ぶり、また絡み合う中上文学は、まさに異端の先端にあると思った。
物語も巨大なサーガであれば、中上健次さんご本人もまたがっちりした体躯のひとであったようだ。その巨きな身体が、なぜか砂澤ビッキさんとダブって視えることがあった。新宿ゴールデン街での中上さんの暴力沙汰は、まるで神話のように聞こえた。

異端、が宿すパワーは、もはや多様性の時代の前に風化してしまったのだろうか。砂澤ビッキと中上健次は僕の頭の中で強く結ばれている。得体の知れない荒ぶるチカラが、今でも僕を揺さぶる。答えは、実は際にあるのだ。いや、際も、異端も、突端も、そんなものすら関係ない。なんの意味もない。ただ目の前にあるものを愛してやれ。受け止めてやれ。抱きしめてやれ。小僧、お前にそれができるか? そんな不思議な誘導尋問に引き込まれそうになる。魂が、疾走する。

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